“誰でもできること”でいい。その先が大切。

先日、ホリエモンこと堀江貴文さんの本を読んでいて、その中にイチロー選手のことが例として書いてありました。
自分への備忘録としても残しておきたいと思います。

イチロー選手は、生まれつきの「神がかり的な野球の天才」ではないはずだ。
厳密に言うと「自分の能力をキープすることに油断をしない天才」だ。

イチロー選手は「“誰でもできること”を“誰もができないほどの量”を継続したから結果を出せた」のだ。

イチロー選手は、若い頃に桁外れの量の練習をこなした。
最初の頃は、「いやいやこなす」という時期もあったかもしれない。
だかきっと、どこかの段階からどハマりして、野球の練習自体に快楽を感じていたはずだ。
そうでなれば、あれほどの世界的偉業が成し遂げられるわけがない。

そこで改めて思ったこと…
それは、“天才”と言われる人が行っていること。
その行っていること自体は、“誰でもできること”が出発地点であるということ。

例えば野球でいえば、毎日素振り100回とか、
英語習得では単語を毎日10単語覚えるとか、
そろばんで言えば1日10分の測りを行うとか…

スポット的には決して素人でも難しくないこと。

ただ、プロと言われる人、周りからこの人すごい!と思われている人は、
それを継続し続けている。
“誰もができないほどの量”を続けているということ。

それほど継続することは難しいんですよね。

でもそれができた時。
自分に対する絶対的な自信・肯定感、更なる向上心など、見える景色は間違いなく違うと思います。

自分の話になってしまいますが、
私は年長でそろばんを習い始め、当時、毎朝10分~30分の練習を欠かさず行っていました。

どんな気持ちで練習していたのかは、もう正直覚えていないのですが…^^;
1年生で2級取得したこと、全国大会に毎年入賞できていたこと、小学生で珠算・暗算3段取得できたことは、
間違いなく毎日欠かさず練習を継続したから。それに尽きると思います。

当時指導してくれていた先生は、
「1日休めば3日分、3日休めば1週間分、手先の動きが鈍くなる。
練習していたかどうかは指の動きを見ればすぐ分かる」とよく言っていました。

練習する人には惜しみなく、指導や練習問題を出してくれる方でした。
厳しくも優しくもあり、もう80歳近くなりますが、未だに親交がある方です。

また、私の両親はそろばん未経験者でしたし、ノウハウもありませんでした。
ただ、私の練習に付き合ってくれていました。
(お風呂でかけ算九九のテストをしたり、時間計測をしてくれたり、出来たら褒めてくれたりといったことです。)

無理強いをすることはありませんでしたが、
練習を習慣づける手助け(当たり前のように朝に「さて今日も10分測るよ~!」、やる気があるときに練習の働きかけをするなど)をしてくれていた記憶があります。

自分の継続した練習、先生の指導、親のサポートで、
そろばんに対する自信や「やれば出来る」「努力に勝る天才なし」といったことを体感したと思っています。

自分もそうですが、
生徒のみんなにはぜひ知ってほしい継続する大切さ、意義。

懲りずに伝えていきたいと思っています。

nakazawa

このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です